水星磁気圏探査機みお

幾多の困難を
国際協力で乗り越えた
JAXA最長プロジェクト
BepiColombo前プロジェクトマネージャー早川基

1997年、水星探査ワーキンググループを結成

BepiColomboの打上が目前となってきましたが思い返すと最初に宇宙研の理学委員会の元に水星探査ワーキンググループを結成したのが1997年6月で日本独自の水星探査計画を纏めたのが1998年11月、それが発端となってESAから水星探査の共同検討の提案があったのが1999年11月、それに対して宇宙研(当時は3機関統合によるJAXAの発足前)として参加意思を表明したのが2000年9月ですので水星探査に関わって21年、BepiColomboミッションに参加して既に18年が経つことになります。ESA側も日本側も一番最初の立上げ時に中心となっていた人は殆どの人が既に退職をしており時の流れを感じさせます。

2001年9月にJAXA/ISASで開催された国際水星探査ワークショップの集合写真。

繰り返される計画変更

共同検討を開始した当初は2機の周回機(MPOとMMO)の他にランダー(MSEと言いました)を2010年に打上、2014年に水星周回軌道投入を行うという計画でしたが、検討を始めて早い時期に技術開発の困難さと寿命の短さ等からランダーは取りやめる事となり、現在の周回機2機計画に変更となりました。また、同時に打上げは2012年に水星周回軌道投入は2016年へと遅れる事になりました。その後も技術開発の問題から何度かの打上げ時期の遅延を繰り返し、途中でミッション終了となる危機もありましたがそれらを乗り越えやっとここまで来ました。もっとも周回軌道投入が2025年末の予定なので観測を開始するのは2026年初頭からとなります。この為マラソンに例えればやっと本番のスタートラインに立ったところでまだまだ気を抜く事は出来ませんが…

計画当初のベピコロンボ探査機構成。着陸機(MSE)が含まれていた。

幾多の困難を乗り越えて

観測器を提供するというのではなく衛星一個をまるまる提供するというESAと日本ががっぷりと組んだ初めての例でもある事、協力を始めた当初はお互いに相手の背景も人柄もわからない事等から年に数回行っていた打合せでも「机をたたいて部屋から出て行った方が良いのではないか」という話が出るほど揉めた事もありましたが、付き合ううちにお互いの背景・人柄が分かり、何が出来て何が出来ないのかという事が相互に理解が出来るようになりその後は割合とスムーズに話が進むようになった気がします。現在ではESAプロジェクトとMMOプロジェクトは非常に良好な関係を築く事が出来たと自負しています。実際、JAXA側の主張をESAプロジェクトが理解をしてくれ、ESA内の他部門を説得してくれたこともあります。それでもお互いの「当たり前」が異なるため、(多分お互いに)びっくりする事は何度かありましたが。
幾多の困難を乗り越えて、やっとここまで来ました。ミッションの完遂というゴールまではまだまだ長い道のりがありますが、謎の解明や新たな発見が数多くある事を期待しています。

ESAプロジェクトマネージャのUlrich Reininghaus氏との対談時の様子(2015年6月)。

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